ぼくをつくるばしょ。

ぼくを作るいろんなものを書き留めていくためのばしょ。たまにぼくが作ったものも発表していこうかと。

見つけただけじゃ押せなかった。ぼくのやる気スイッチ

っkです。

 

パロってむずい。

 

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やる気スイッチぼくのはどこにあるんだろう?

場所はわからないですが、なんとなく押す方法は知ってます。

ぼくの場合は「悔しくなる」=「押された」ってこと。なので、自分では(現時点で)敵わないと思っている人、すげえなあと思う人や活動、作品を見る・聞く・読む、あるいはすごい人と話すことでスイッチが押されます。

だから昨日のライブではスイッチが押されたと思うし、あとはワークスアプリケーションズの牧野さんの基調講演聞いたときは鳥肌立ってすごくやる気になったし、作品だと、最近では最終兵器彼女読んだときに虚無感と同時に「ああこういうの作りたいな」ってやる気が出てきましたね。

要するに"いいもの"=スイッチなんですよ。それに接する=押すこと。

 

でも、思い返すとそのスイッチ、なっがいことがんじがらめに封印されていたんですよねー。

 

見つけてあげても押せないの、やる気スイッチ

高校時代から、友達のライブにしょっちゅう行ってたし、小説やら漫画やらから刺激も受けてたし、やる気スイッチがそこにあるっていうことは、なんとなくながら知っていたように思います。すごい人にすげーすげーって言うの好きだったなあ笑。

で、ライブに行って奮い立つんですよ。「俺もなんかしなきゃ…!」って。でもその結果何かをしたことはほっとんど無いです。

なぜか。

自信がなかったから。

自信がないんですよ。自分に、人の心を動かせるようなものが作れると思えなかったし、自分が人の前に立って発表をして、その評価を受けるなんてことに耐えられるとも思えなかった。自信喪失という沼に足を取られて、いつまでも一歩を出せない感じ。

そこをひょいひょい飛び越えていく友達を見て、「俺もああなりたい」と思うけれど、足はすくんで動かない。

「人前に出してみてからだよ!」「評価されなきゃ意味がない!」

そんな言葉は、立ち止まる自分の足を動かすどころか、立ち尽くすぼくの心にぐさぐさぶっ刺さっていくだけなのです。「このままじゃいけない」でも「足は動かない」。いやあ、ジレンマジレンマ。

え、でも自分で文芸部の頃似たようなこと書いてるだろうって? それはやる気周期の問題です(またあとで。

 

冗談っぽく書いてますが、本当にきつかったですよ。目の前にあるやる気スイッチ、押せないんだから笑。

やっと押せたの、やる気スイッチ

今はなんとか泥沼から足引っこ抜いて、元気に歩いています。ひょいひょいとは行かないまでも、あんまり立ち止まらなくなりました。

なんでって多分、自信がついたからでしょうね。まだ何にも作っていないけど、何かを作っていこうと決めるくらいの自信はつきました。そしてそれを見てもらおうという思いも。

なんで自信がついたかとかいう話も記事にします。簡単に言うと「自分の能力が低いんじゃない、環境の作り方が悪いんだ」って、思えるようになったから。能力値の問題じゃなくて、能力の使い方の問題だと考えるようになったら、とても楽になりましたよ。

 

苦しめば、苦しんだ先に変化があるっていうことですよねー。

今のぼくを高校生のぼくが見たら「すげー」って言うんじゃないかな、多分。

 

ではではっ!